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最高裁判所第三小法廷 昭和45年(あ)2339号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

一、弁護人上田誠吉、同池田輝孝、同秋山昭一、同澁田幹雄、同西嶋勝彦、同福田拓、同鶴見祐策の上告趣意(昭和四六年四月三〇日付上告趣意書記載のもの。)第一点について

所論は、原認定にそわない事実関係を前提とする違憲(一一条、一三条、一四条、一五条、二一条、三一条)の主張および訴訟手続に関する単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

二、同第二点について

所論のうち、所得税法二三四条一項、二四二条八号の規定が不当な拡大解釈と濫用の可能性を有する条項であり、質問検査に対する協力がすべて所定の重刑の対象とされていることは不合理であるとして右規定の違憲(三一条)をいう点は、右規定の不当解釈と濫用を招来すべき危険性が右規定上明白に存するものとは認めがたく、また、質問検査制度の趣旨目的にてらし、同法二四二条所定の刑が著しく不合理、不均衡であるとも認められないから、所論の前提を欠き、所論のうち、調査目的を達するについて他に可能な調査手段が存する場合には質問検査は許されないと解すべきであるとして違憲(三一条)および法令解釈の誤りをいう点は、実質は所得税法の前記規定の解釈に関する単なる法令違反の主張に尽き、いずれも上告適法の理由とならない。

三、同第三点について

所論は、質問検査権の行使は明白かつ現在の必要性の存在を要件としなければ許されないとしたうえ、被告人に対する本件質問検査は差し迫つた必要もないのに、事前の通知もなく、かつ調査の理由および範囲を明白に示すことなく行なわれようとしたものであり、いまだ適法な質問検査の着手にいたなかつたものであるとして、違憲(三一条、三五条、三八条一項)および法令解釈の誤りをいうが、実質はすべて所得税法の前記規定の解釈に関する単なる法令違反、事実誤認の主張であり、適法な上告理由にあたらない。

四、同第四点について

所論のうち、所得税法の前記規定の違憲(三五条一項、三八条一項)をいう点は、実質は前記規定の解釈に関する単なる法令違反の主張であり、また、前記規定の犯罪構成要件としての不明確性を主張して違憲(三一条)をいう点は、右規定の文言の意義は後記一〇、おいて示すとおりであつてなんら明確を欠くものとはいえないから、その前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

五、同第五点について

所論は、所得税法の前記規定は、「当該職員」の範囲を定める法令が存せず、白地刑法を許容する結果となるとして右規定の違憲(三一条)をいうが、「当該職員」の意義は、後記一〇、に示すとおり規定上明確であり、前記規定はなんらいわゆる白地刑罰規定と目すべきものではないから、所論の前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

六、同第六点について

所論のうち、質問検査に応ずるか否かを相手方の自由に委ねる一方においてその拒否を処罰することとしているのは不合理であるとし、所得税法の前記規定の違憲(三一条)をいう点は、前記規定に基づく質問検査に対しては相手方はこれを受忍すべき義務を一般的に負い、その履行を間接的心理的に強制されているものであつて、ただ、相手方においてあえて質問検査を受忍しない場合には以上直接的物理的に右義務の履行を強制しえないという関係を称して一般に「任意調査」と表現されているだけのことであり、この間なんら実質上の不合理性は存しないから、所論の前提を欠き、所論のその余の点は、すべて前記規定の解釈に関する単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

七、同第七点について

所論は、違憲(三一条、三二条、三七条)をいうが、実質は原審における裁判長の具体的訴訟指揮を非難する単なる法令違反の主張であり、上告適法の理由にあたらない。

八、同第八点について

所論のうち、原裁判所は、被告人に無罪を言い渡した第一審判決を事件の核心たる主要な事実について実質的な事実の取調を行なうことなく破棄し、自判において有罪を言い渡したものであるとして判例違反をいう点は、記録によれば、原審において右の点に関する事実の取調が行なわれていることが明らかであるから、その前提を欠き、また、原審における自判の結果被告人の審級の利益が害されたとして判例違反をいう点は、引用の各判例はなんら所論のごとき趣旨の判断を示したものではないから、本件に適切でなく、また、所論のうち、原審における訴訟手続が直接審理主義、口論主義に反するとして違憲(三一条、三七条)をいう点は、記録によれば、原審における事実の取調は適法な公判手続において行なわれ、証人に対する弁護人の尋問も尽されていることが認められるから、その前提を欠き、被告人の審級の利益が害されたとして違憲(三一条、三七条)をいう点は、実質は刑訴法四〇〇条但書の解釈適用に関する単なる法令違反の主張であつて、所論はいずれも上告適法の理由にあたらない。

九、同第九点、第一〇点、第一一点について

所論第九点は、単なる法令違反の主張であり、同第一〇点、第一一点は、各事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

一〇、所得税法二三四条一項の規定の意義についての当裁判所の見解は、次のとおりである。

所得税の終局的な賦課徴収にいたる過程においては、原判示の更正、決定の場合のみではなく、ほかにも予定納税額減額申請(所得税法一一三条一項)または青色申告承認申請(同法一四五条)の承認、却下の場合、純損失の繰戻による還付(同法一四二条二項)の場合、延納申請の許否(同法一三三条二項)の場合、繰上保全差押(国税通則法三八条三項)の場合等、税務署その他の税務官署による一定の処分のなされるべきことが法令上規定され、そのための事実認定と判断が要求される事項があり、これらの事項については、その認定判断に必要な範囲内で職権による調査が行なわれることは法の当然に許容するところと解すべきものであるところ、所得税法二三四条一項の規定は、国税庁、国税局または税務署の調査権限を有する職員において、当該調査の目的、調査すべき事項、申請、申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的な必要性があると判断される場合には、前記職権調査の一方法として、同条一項各号規定の者に対し質問し、またはその事業に関する帳簿、書類その他当該調査事項に関連性を有する物件の検査を行なう権限を認めた趣旨であつて、この場合の質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、右にいう質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解すべく、また、暦年終了前または確定申告期間経過前といえども質問検査が法律上許されないものではなく、実施の日時場所の事前通知、調査の理由および必要性の個別的、具体的な告知のごときも、質問検査を行なううえの法律上一律の要件とされているものではない。そして、質問検査制度の目的が適正公平な課税の実現を図ることにあり、かつ、前記法令上の職権調査事項には当然に確定申告期間または暦年の終了の以前において調査の行なわれるべきものも含まれていることを考慮し、なお所得税法五条においては、将来において課税要件の充足があるならばそれによつて納税義務を現実に負担することとなるべき範囲の者を広く「所得税を納める義務がある」との概念で規定していることにかんがみれば、同法二三四条一項にいう「納税義務がある者」とは、以上の趣意を承けるべく、既に法定の課税要件が充たされて客観的に所得税の納税義務が成立し、いまだ最終的に適正な税額の納付を終了していない者のほか、当該課税年が開始して課税の基礎となるべき収入の発生があり、これによつて将来終局的に納税義務を負担するにいたるべき者をもいい、「納税義務があると認められる者」とは、前記の権限ある税務職員の判断によつて、右の意味での納税義務がある者に該当すると合理的に推認される者をいうべきものである。

一一、以上のとおりであつて、所論は、すべて刑訴法四〇五条の適法な上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(天野武一 関根小郷 坂本吉勝 江里口清雄 高辻正己)

弁護人上田誠吉、同池田輝孝、同秋山昭一、同渋田幹雄、同西嶋勝彦、同福田拓、同鶴見祐策の上告趣意

まえがき〈略〉

第一点(憲法違反ないし訴訟手続上の法令違反)〈略〉

第二点(憲法違反)〈略〉

第三点(憲法違反)〈略〉

第四点(憲法違反)

第一、はじめに〈略〉

第二、質問検査権の公権力の行使の側面からみた違憲性〈略〉

第三、構成要件としての所得税法二四二条八号二三四条一項の違憲性(憲法三一条)

一、まず質問不答弁、検査拒否の構成要件要素を列挙すると次の如くである。

(一) (主体)納税義務がある者、納税義務があると認められる者(その余は省略)

(二) (行為状況)調査の必要性

(三) (「検査」に関して)必要性(他の方法との関連)

(四) 範囲(事項)程度(内容的、時間的)頻度(回数)

(五) (客体)当該職員

(六) (行為)各個の行為  不答弁、(虚偽答弁)、検査拒否=帳簿等不提出、(検査妨害、忌避)

二、前段において、税務署員の権限が漠然としている点を指摘したが、その範囲が構成要件の範囲をも規定する故に、犯罪構成要件として不明確であることを指摘しなければならない。

(一) 主体=身分

(1) まず身分犯である(尤も最高裁昭和四五年一二月一八日判決は、「検査妨害罪」についてのみ、身分犯ではないと判示している)から、行為者にとつて、身分の認識は答弁、帳簿提出の作為義務の構成要件的認識の前提である。しかし、前年度の所得税を申告納付した者は、自らが尚「納税義務がある者」たることを認識していない。

そこで、行政機関としては、事実上身分犯たることを否定し、更に存在の問題を他からの認識の問題とすりかえ、納税義務者とは税務署が調査する必要があると認めた人という解釈が必要となつてくる。

昭和四三年六月二八日友井淳一は弁護人の問に対し

「確かに具体的に納税義務が発生するのは、更正決定を受けたときでしよう。

受けなくても納税義務はあると理解しております。

ちよつと根拠がわかりませんが。

大前提は正しい申告がなされて、正しい所得額で計算されて、残された場合であつて、こちらで調査する必要があると認めた場合は、まだ納税義務があると理解しております。

………

そうすると、正しかつた場合には、納税義務がなかつたというようなことになるわけでしよう。

そうです。

納税義務者だと思つていたけれど、それは誤りであつたということになるわけですか。

そういうこともあるでしよう。あるいは過分に税金を納めておられた場合は、また減額更正してあげなくちやいけないことになります。」

とある。

この税務署員の論理には「納税義務がある者」自体の定義づけが欠落している。そして「納税義務があると認められる者」との区別が日常用語的な意味で全く存在しなくなつている。

これでは、個々の税務署長の主観が構成要件該当事実(主体)を創設することを許容することになる。

このように、まず身分犯として基本となる概念がまず不明確である。

(2) 第一審判決は、「たしかに明確な表現ではないが」と認めながら、「立法の沿革および所得税が申告納税方式によるものであることを考慮」し、「納税義務がある者というのは、確定申告書を提出することにより所得税の納付義務が確定している者(その税額の全部または一部をすでに納付しているかどうかを問わない)を意味し、納税義務があると認められる者とは、確定申告書を提出していないけれども、客観的、実質的に納税義務が成立しているものと合理的に推認され、確定申告書を提出すべきであつたと認められる者を意味するものと解すべきである」と一応の見解を示している。

第一審判決の立法の沿革というものは、おそらく明治三一年第一二回帝国議会における審議経過を念頭においてのことと思われる。質問検査権の立法的な沿革については、第一審の起訴状に対する弁護人の意見陳述(吉田敏幸特別弁護人の部分)にくわしいが、この関係を敷衍すると次のとおりである。

明治三一年一二月八日、帝国議会に提出された所得税法改正法律案第三四条は「税務署長又ハ其ノ代理官ハ調査上必要アルトキハ納税義務アリト認ムル者ニ対シ其ノ所得ニ関スル事実ヲ質問スルコトヲ得」という原案で成つていた。ところが衆議院での審議で、「納税義務者」が付加されることになつたわけであるが、その間の経緯は、貴族院の審議の段階で、当時大蔵省主税局長であつた若槻礼次郎が政府委員の立場から説明の答弁を行なつた議事録(明治三二年二月一四日貴族院所得税法改正法律委員会議事録)の中から知ることができる。その内容は次のとおりである。

「竝ニ『納税義務アリト認ムル者』斯ウ書イテアルト実際ニ納税シテイナクモアノ人ハ納税ノ義務ガアルモノデアラウト言ウ認メルモノニ対シテノミ質問スルコトニナツテ、現ニ納税ノ義務アル人ニハ出来ヌヨウニ見ルトイウ論がアリマシタ。政府案ハサウデナカツタノデ両方ヲ含ンデ居ル筈デアリマスケレドモ、衆議院ハサウ言フ疑ヒガオコリマシテ、ソレデハ疑ヒヲ省ク為両方入レタ方ガ宜シイト言フノデ『納税義務者又ハ納税義務アリト認ムル者』ト言フ事ニ致シマシタ」これによると甚だ雑ぱくな議論から「納税義務者」が挿入されたことがわかるが、当時、税務署長等に質問権(検査権はまだない)を設ける法的根拠を明記するが目的であつて、もとより罰則は考えられていなかつたから、犯罪構成要件としての厳密な検討がなされなかつたのは、やむを得なかつたかもしれない。しかしながら、申告納税制度がとられている現在、質問不答弁、検査拒否罪として罰金のほかに懲役をも法定刑とする構成要件となつてこれらの概念がそのまま引継がれてしまつているところに問題の深刻さがあるのである。

第一審の解釈は、ここでいう「納税義務」をいわゆる申告によつて確定する具体的納税義務としているが、にもかかわらず、「その税額の全部を納付しているかどうかを問わない」というのは矛盾であろう。具体的納税義務はその分を納付することによつて、消滅するのは当然のことである。また納付前であつてもすでに確定した分の具体的納税義務については、たとえば国税徴収法上の質問検査権の対象となり得ても、更正を目的とする所得税法上の質問検査権の対象となることは、原則としてあり得ないというべきであろう。(なお詳細は後述に譲る。)

(3) この身分犯の基本となる概念が明確でないことは刑罰法規として致命的といわねばならない。

この概念の不明確さは、所得税法二三四条あるいは旧所得税法六三条の質問検査権をめぐるいくつかの刑事事件の公判において、一体であるべき検察官が、それぞれこの意味について釈明を受けるやいろいろな説を唱えていることによつても、実証されている。

国民を起訴して有罪にしようという検察庁部内において、この最も基本となる概念について見解が統一されていないのは、まことに不可解であるが、それだけこの条項の趣旨が不明解であつて、憲法上許されないものがあるとの結論にも通ずることになろう。

最も早い時期と見られるのは、現に大阪地裁で審理中の税務署員に対する公務執行妨害事件(被告人小貫富雄)で打出して見解である。ここでは検察官は甲、乙、丙の三学説を紹介したうえ、これは全部間違つていると否定したあと、あまり内容のない丁説を立て、これが正しいというのである。

すなわち、

甲説 「納税義務者」とは国税通則第一五条第二項第一号に規定するとおり、暦年の終了により納税義務が成立した者であり、「納税義務ありと認められる者」とは暦年の終了の前であるが納税義務があると認められる者である。

乙説 「納税義務者」とは、旧所得税法二六条(現行法一二〇条)に定める確定申告義務者であり、「納税義務ありと認められる」とは、右義務ありと認められる者をいう。

丙説 「納税義務者」を規定したのは法の誤りであり、「納税義務ありと認められる者」とは、課税所得があるのに申告なき者及び申告以上に課税所得ありと認められる者をいう。

(注、丙説は別として甲説と乙説は、「義務」の存在と認識という形で、言葉の上での説明をしているが、論理的には存在と認識は互いにすれ違うばかりで、両者を同じ平面において画する境界を見出すことにはならない。無理につじつまを合わせようとすれば両概念とも「認識」の観点で統一するほかなく、そうすると、その差は、量的なもの、すなわち認識の程度でつけるほかなくなるわけである。)

丁説 「納税義務者」とは、旧所得法第一条に該当するものであり、例えば申告納税方式をとる者の例にあてはめていえば、納税義務者とは、「居住者又は事業等を有する非居住者はその年中における合計所得金額が基礎控除額、配偶者控除額及び扶養控除額の合計額を越え、且つそのこえる額に対して第一三条を適用して計算した所得税額が配当控除額をこえる者」ということになる。また「納税義務ありと認められる者」とは、同法第一条に該当すると認められる者のことであつて、右の例でいえば「……所得税額が配当控除額をこえると認められる者」のことである」

(注、この説が甲説と違うところは、義務成立の時期を明確にしないところにある。なぜならば、この事件は事前調査が問題になつているからである。しかし、課税所得の有無は、暦年の終了の時期にならなければ明らかにならないことは、自明であつて、実際は、甲説と選ぶところはない。)

これの亜流というべきのもので、もつと極端なのは、前橋地裁で審理中の質問不答弁、検査拒否事件(被告人山崎次郎外一名)で検察官が持出した説である。

「納税あると認められる者とは、税務官庁からみて納税義務があると認められる者であり、納税義務がある者とは、さらにその蓋然性が高いものである」

要するに程度の差だというのである。これは前記甲、乙、丁説の持つ矛盾をあからさまに拡大した説ということができる、しかし、これでは法が二つの概念を立てるいみは全くない。「認められる者」一本で包括できるからである。いずれにせよ納税義務を前年の暦年終了後に成立した抽象的義務と解する限りにおいては、この二つの概念の区別はつけられない。従つて、これは条文の規定の仕方を基礎とした正しい解釈とはいえないであろう。

本件では、また異なる見解が検察官によつてなされていることは第一審の補充釈明書の記載のとおりである。

とにかく、このような検察内部にも見られる解釈上の矛盾、混乱は所得税法の前記各条項が、あいまいであることを暴露するものであり、明らかに憲法三一条に違反するものといわねばならない。

(二) 調査の必要性、質問検査の必要性

調査の必要性が(調査の理由)が税務署長により、質問検査の必要性が当該職員によりそれぞれ判断されるのであるが、その各判断が構成要件要素となるのであつて、その構成要件のわくがきわめて浮動的である。

この必要性については、所得税法にもとより国税通則法にも何ら規定がない。

(三) 更に右い二つの必要性及び「質問検査権」の行使であることを被「質問検査」者が認識していることが構成要件該当に不可欠であるが、申告納付済の者――すでに納税義務者ではない者、又は納税義務がないと認められる者――について言えば、単に根拠条文を告知されたのみでは右の認識があつたとは言えない。

この点、行為者において(一)「質問検査」者が税務署員たること。(二)質問事項が一定年度の所得に関するものであることの認識のみで足りるとするが如き、「知らしむべからず」式の論理を仮りに主張する者があるとすれば、そのような強大な強制力を個々の税務署員に与べき合理的根拠が益々薄弱になる。

(四) 行為について言えば、日常的な会話のやりとりの中で「不答弁」「虚偽答弁」を個々に抽出することの不合理であり、また「検査」という語が実際の運用では帳簿等提示命令を意味しているが、それについても「検査」自体に右のような意味が含まれているか否か明確でない。

更には「忌避」といつた漠然とした概念により行為が記載されている。

そして「不答弁」「検査拒否」について、立入ること自体の拒否、立入りの同意の撤回を含むか否かも前述の如く不明である。(認知されない税務署員の「立入権」を公然化することになるか)

(五) 客体つまり「当該職員」については別に論ずるとおりである。

(六) また、質問不答弁、検査拒否は、純正、不作為犯であるが、いずれも、税務職員の質問も質問や検査要求を前提とし、これに対応するものである。

従つて、その行為の態様や程度は、もつぱら、税務職員の側の意思や選択によるところの質問ないしは検査要求の内容にかかつているといわねばならない。つまり、税務職員の出方次第である。そうだとすると、いわゆる白地刑法にほかならず、そのいみにおいても、刑罰法規として極めて不合理なものである。

第四、むすび〈以下、省略〉

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